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【天皇だって、猫がお好き】平安時代の猫好き天皇。宇多天皇の愛猫べた褒めツンデレ日記とは?

更新日:2019年12月31日






突然ですが、あなたは猫がお好きですか?



猫ブームが到来して久しい今日この頃。



自分もきっての猫好きで、街中でのんびりしている猫を見つけるとついつい足を止めてしまいます。



あのハッキリとした顔立ちに愛くるしいフォルム、さらには自由奔放でマイペースな性格に時折見せるツンデレ具合。



むさ苦しい昨今の世を生きる我々現代人の中でも多くの方が、猫のこの悪魔的な魅力にどハマりしてしまっていますが、



どうやら猫の魅力に傾倒してしまうのは、我々現代人に限った話ではないようです。



というのも、1000年以上も前の時代――平安時代真っただ中の日本でも、この生き物のトリコになってしまった人物がいたといいます。



猫の魅力というのは、時代を超えて愛される、普遍的なものなのかもしれません。







今回は歴史の講義からちょっと箸休め。



異常なほどまでに猫を愛してしまった平安時代の2人の天皇に焦点を当て、そのエピソードを紹介していきたいと思います!



堅苦しい話ではまったくございませんので、肩の力を抜いて、お楽しみくださいませ。



目次―

1.猫好き界隈で有名な宇多天皇

2.日本最古の愛猫ベタ褒めツンデレ日記『宇多天皇御記』

3.宇多天皇と愛猫との関係性は?








 

1.猫好き界隈で有名な宇多天皇

 


「ウチの子こそが一番かわいい!」。



猫を飼っている愛猫家の方々はそう信じて疑いませんが、そのように思っているのはもちろんあなただけではありません。



どうやらその感覚も普遍的なものであるようで、平安時代の天皇でさえ、そのように日記に書き残しています。



初めに紹介する猫好き天皇は、宇多天皇です。



平安時代において、菅原道真らとともに「寛平の治」を牽引した、センター試験でも必須の非常に大事な天皇ですね。



⇓⇓⇓宇多天皇についての記事はコチラから!

【寛平の治】宇多天皇と菅原道真の政治。親政を展開できたのはなぜ?遣唐使が廃止された背景・理由は?



宇多天皇が猫好きと知られるようになったのは、『宇多天皇御記』と呼ばれる史料によります。



天皇として送る自らの生活を記した日記『宇多天皇御記』の中で、自分の飼っている黒猫のことを、事細かく描写しているのです。



しかも、よっぽど自分の猫のことがかわいいようで、その優れた点を散々自慢し、大いにのろけておきながら、



それでいて急に恥ずかしくなったのか、照れ隠しのような言い訳をつらつらと述べているというツンデレっぷりまで晒しています。



このギャップが我々現代人に対して非常に親近感をわかせるようで、この日記は愛猫家たちの間で非常に話題になりました。






 

2.日本最古の愛猫ベタ褒めツンデレ日記『宇多天皇御記』

 


それでは、ある意味で日本最古の ‘‘猫好きツンデレ日記‘‘ とも呼ばれるこの手記をのぞいてみましょう。



(※原文は漢文ですので書き下し文にし、参考程度の現代語訳を記してあります。

さらに記事の構成上、本文は抜粋されており、一部順序も変わっています)







まず、宇多天皇のもとにこの黒猫がやってきた経緯が述べられています。



もともとこの猫は、大宰府次官であった源精という人物が任期を終えて京に帰ってきたときに先帝に献上されたものでした。



大宰府という場所柄、この猫はおそらく唐からやってきた子であると推察されます。



ここでいう先帝とは、光孝天皇のことを指しています。すなわち、宇多天皇のお父さんですね。



光孝天皇が数日かわいがった後、この猫は宇多天皇のもとに譲られることとなったのでした。







ここから、黒猫の様子や仕草が事細かく描写されていきます。



長さが1尺5寸(=約45センチ)、高さが約6寸(=約18センチ)とのことですので、サイズ的には今の猫たちとほとんど変わりがないでしょう。



小さくかがんでみたりぐっと伸びてみたり、はたまた獲物を狙う姿勢をとってみたりという猫特有の仕草も、もちろん今と全く同じです。



平安時代当時において、猫という動物は非常に珍しいものでした。



数が少なかったため夷限られた上級貴族たちしか飼うことができず、縄でつながれ室内で大事に育てられていたと言われています。



そのように貴重な動物であったこともあり、宇多天皇は詳細な記録を残そうと思ったのでしょう。



さて、ここまではごく普通の飼育記録なのですが、ここから様子が変わっていきます。







もう、べた褒めです。



これでもかというほどの美辞麗句で愛猫のことを惚気きっております



「韓盧」という言葉の他、「黒い宝玉」や「雲の上の龍」といった表現まで使われていますが、



ここまでの圧巻の言葉を駆使して猫のことを自慢する人、現代にだってなかなかいないでしょう。



猫を愛する気持ち・いとおしく思う気持ちは、きっとこの時代を生きる人々の中でも群を抜いていたに違いありません。







出ました。突然のツンデレ発言。



この時代において、日記は後世の人々に読まれることを前提としていますから、



ここまで散々猫をほめちぎってきたことが急に照れ臭くなったのでしょうか。



お父さんがくれたものだから、仕方なくかわいがってるんだからね!?と言い訳が述べられています。



現代にはあまりなじみがないものではありますが、乳粥はお米を牛乳で炊いた食べ物です。



当時牛乳は非常に高価なものであり、簡単に手に入るようなものではありませんでした。



そのようにとても貴重であり、栄養価も高い食べ物を毎日、宇多天皇はこの黒猫に与えていたのです。



そして、猫についての記述は最後にこう続きます。






かわいすぎる。



猫も宇多天皇もかわいすぎます。



猫のことをじっと見つめて語りかけてみるだなんて、全猫飼主が共感できるポイントできるなのではないでしょうか。



飼い主の愛猫に対する思いは、いつの時代もき変わりないのかもしれません。



宇多天皇の愛猫に対する愛おしさは、現代人にも大いに通じるところがあるでしょう。








 

3.宇多天皇と愛猫との関係性は?

 


さて、それでは、宇多天皇の猫生活と日本史の歴史的事項を関連付けてみましょう。



まず、宇多天皇が日記にこの猫のことを記したのは889年12月6日のことでした。



このとき、宇多天皇は22歳です。



毎朝ミルク粥を与えて5年が経ったと記されていますから、猫を飼い始めたのは884年頃なのでしょう。



思い出してください。



宇多天皇の父であった光孝天皇(在位:884~887年)は、陽成天皇の素行があまりに横暴であったなどといった理由により、



藤原基経の後ろ盾を得て、55歳という当時としてはかなりの老齢で即位した人物でありました。



傍系であった光孝天皇は、通常であったならばまず天皇にはなり得ない人物であり、



自分を天皇にしてくれた基経によっぽど感謝したのか、自分の在位中は彼に最大限の権限を与えます。



さらには後に基経が次期天皇を選ぶときのために配慮をしたのか、光孝天皇は自分の子供たちを全員臣下に下ろしています(=「臣籍降下」)。



この臣籍降下が行われた年こそ、884年なのです。



⇓⇓⇓ここらへんの詳しい経緯は以下の記事から!

【基経の政治】阿衡の紛議はなぜ起こった?その背景・過程・歴史的意義は?【陽成・光孝・宇多天皇】



自分のお父さんが突然天皇になるということだけでも、多感な青年期であった若き日の宇多天皇にとっては非常に衝撃的なことだったでしょう。



しかも、天皇家出身ということで血筋もよく、さらに若くして聡明であったために将来を有望視されていたにもかかわらず、



人間関係の波にのまれた宇多天皇は、突如皇族という身分を離れることとなったのでした。



宇多天皇のもとに黒猫がやってきたのは、そのような激動の時期であったのです。






そして、その3年後887年、宇多天皇のお父さんである光孝天皇が崩御されます。



当然一度臣籍降下し皇族としての身分を離れた宇多天皇が天皇となることは、このとき本来ありえないことでしたが、



実質的に政権を握っていた基経と、その周りを巡る人間関係のゴタゴタがあり、



結局のところ宇多天皇が推薦を受けて再度皇族に復帰し、即位することとなったのでした。



非常に珍しいケースです。



一度臣籍降下したものの後に皇族に復帰し天皇となったのは、彼が初めてのことでした



その後基経との「阿衡事件」といったゴタゴタを経て、宇多天皇は「寛平の治」と呼ばれる天皇親政を展開していくこととなります。



若い宇多天皇はこの激動の青年期の時代を、ともに黒猫と過ごしてきたのです。




 
いかがでしたか?



摂関である藤原氏の台頭や律令制の崩壊に伴い、9世紀~10世紀はこれまでとは政治の在り方が大きく変わろうとしていた転換期でした。



この激動の時代を生き抜き、「寛平の治」と呼ばれる親政を展開するなど攻勢において理想視される政治をやり遂げた宇多天皇ですが、



もしかしたらこの黒猫こそ、ストレス溢れる時代を生きた宇多天皇にとって、大きな心の支えになっていたのかもしれません。





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