更新日:2021年7月11日

日本史を学んでいると、教科書には多くの天皇の名前が登場します。
それもそのはずです。
伝説上の存在であるとされる日本の初代天皇・神武天皇から、新元号令和の始まりである5月1日に即位された今上天皇まで、宮内庁のHPに掲載されている系図によれば、約2700年間・126代にわたって ‘‘万世一系‘‘ の皇統が続いてきたとされています。
(もちろん、2000年以上も前における天皇の実在性の根拠は乏しく、学術的には伝説上の存在であったとする見方が一般的です。どの天皇から存在していたかということについては、崇神天皇から、応神天皇から、継体天皇からなど諸説あり、多くの論争が巻き起こっています。)
鎌倉時代以降の武士の活躍する時代になると教科書に名前の登場する天皇はぐっと少なくなりますが、平安時代以前の時代には、教科書を見ても多くの天皇が天皇が活躍したことが分かりますよね。
ところで、天皇の呼び名(〇〇天皇)は、一体どのように決まるのでしょうか。
例えば・・・「白河天皇」と「後白河天皇」、「醍醐天皇」と「後醍醐天皇」 などに見られるように、天皇の名前には「後〇〇天皇」という呼び名がしばしば見られます。
しかし一方、宮内庁の系図に「深草天皇」「小松天皇」「水尾天皇」の名前は見られないのに、教科書には「後深草天皇」「後小松天皇」「後水尾天皇」の名前が載っています。
これは一体どういうことなのでしょうか。
先日行われた生前退位やなどをめぐり、皇室関連のニュース報道や議論が盛んに行われている今日この頃ですが、日本史選択をしている受験生の皆様方の中にも、「天皇」という存在に関してまだまだ知らないことが多くあるのではないかと思われます。
今回の記事では、天皇の呼び名の付けられ方の秘密について明らかにしていきたいと思います!
今回のテーマは、教科書や参考書で学習する通史・文化史からは少し逸脱するものではありますが、日本史を学ぶ者の知的好奇心を刺激すること間違いなしと思いますので、ぜひご覧ください。
目次―
1.他人を本名で呼ぶことを避ける文化。「諱(いみな)」とは?
2.天皇には苗字がない?天皇の「諱」
3.諡号(しごう)・追号(ついごう)とは?
4.「後〇〇天皇」に関する疑問を解決!
1.他人を本名で呼ぶことを避ける文化。「諱(いみな)」とは?
現代にはあまりない感覚ですが、古代の日本には、高貴な人や死者のことを本名で呼ぶことを避ける文化がありました。
そこから転じて、やがて生前の実名を呼ぶことも避けられるようになったといいます。
このことから、個人の本名のことを「諱(いみな)」と表現することがあります。
別名「忌み名」です。
この別名からもわかるように、「諱」という言葉には、「口に出すことをためらわれる」という意味が含まれているのです。
日本の場合、諱を避ける文化は、人物の実名とその人物の霊的な人格が結びついているという宗教的な思想と深く結びついています。
それぞれの人物の本名=諱は、それぞれの人物の霊的な人格と結びついたものであり、その本名を口にするとその霊的な人格を操ってしまうと考えられていたのです。
そのため、日本では古来、本名=諱を呼ぶのは親や主君のみに許されることであり、それ以外の者が諱で呼びかけるのは極めて無礼であるとされていました。
諱を忌避するこの風習が、日本においていつから始めったのかは定かではありませんが、だいたい明治時代頃まで続いてきたとされています。
さて、諱を呼ぶことを忌避するのでしたら、個人を呼ぶときにはどのようにしたのでしょう。
答えは簡単です。個人の名前は通称(ニックネーム)で呼ばれることになりました。
そのニックネームの付け方の一例として、例えば苗字に官職名をくっつけて呼んでみたり、
個人にゆかりのある邸宅や建物の名称をそのままその人物の通称に転じた例が多かったと言います。
⇓⇓⇓「諱」についてのさらなる解説は以下の記事からどうぞ!
【諱について解説!】かつて日本には他人を本名で呼ぶことを避ける文化がありました。【紫式部や新井白石は本名でなかった!?】
2.天皇には苗字がない?天皇の「諱」
これほどまで天皇に関するニュースが盛んに報じられているのに、そういえば天皇の苗字って聞いたことないなぁ・・・
そう感じたことはありませんか?
それもそのはずです。
実は、天皇には苗字がありません。
でも、よく考えてみれば当然なんですよね。
先ほど述べた通り、伝説を含めた歴史上では、天皇家は天照大神の子孫である神武天皇から今上天皇まで ‘‘万世一系の‘‘ 皇統が続いてきたとされています。
ですから、我々一般の民衆とは異なり、そもそもわざわざ苗字を用いて他と区別する必要がないのです。
(今まで苗字を持っていても、皇室に入ると苗字はなくなります。例えば、皇后陛下も結婚される前には小和田雅子という姓名をお持ちでしたが、結婚後は「雅子」様という名前になっています。逆に、皇族がその身分を離れて臣下に下る臣籍降下すると姓が与えられます。例えば、醍醐天皇の第10皇子である源高明に「源」という姓があるのはこのためです。)
しかし、それでも、もちろん名前はあります。
今上天皇のお名前は徳仁であり、上皇陛下のお名前は明仁、昭和天皇のお名前は裕仁です。
壬申の乱で勝利した大海人皇子と敗北した大友皇子ですが、大海人と大友が名前です。
淳和天皇は大伴。文徳天皇は道康。清和天皇は惟仁。後醍醐天皇は尊治。後村上天皇は義良・・・
と、挙げていけばきりがないですが、一天皇に対して、必ず一つ名前があります。
そして、この名前も当然ながら、諱(いみな)です。
現代に至るまで、一般人だけでなく傍系の皇族といえども、天皇や皇族に対して諱で呼称することは控えられる傾向にあると言います。
ニュースや新聞などで、それぞれの天皇が名前=諱で呼称されることがないのはこのためです。(実際、ニュースの中で現天皇のことを”徳仁様”と呼ぶの、聞いたことありません。)
天皇は天下に一人が原則であることから、そのとき位に就いている天皇のことはわざわざ区別する必要もないため、「今上天皇」や「陛下」などと呼ばれます。
一方、譲位や崩御に伴ってもうすでに位にはいない天皇を区別する際には、諱を呼ぶことを避けるべく、諡号(しごう)や追号(ついごう)と呼ばれる呼び名が用いられます。
いわゆる「〇〇天皇」――我々が普段よく耳にする、それぞれの天皇の「呼び名」のことです。
3.諡号(しごう)・追号(ついごう)とは?
もうすでに位にはいない天皇のことを呼称する際、諱を用いることを避けるべく、代わりに用いられるのが「諡号(しごう)」や「追号(ついごう)」と呼ばれる称号です。
「諡」という漢字はこれ単体だと「おくりな」と読みますが、ここから分かる通り、生前の行いを尊んで死後に贈られる贈り名のことを指しています。
追号も同じように死後に贈られる贈り名のことであり、諡号との区別はかなり微妙なところですが、
「諡号」が故人の生前の徳行や業績を讃えて付けられる贈り名である一方、
「追号」は生前の行いとは関係なく、その天皇にゆかりのある地名や御所の名前などから付けられた贈り名である、と定義付けられています。
では、それぞれ諡号・追号が付けられた天皇を黒板で確認してみましょう。

諡号は、天皇の権威・権力が比較的強かった古代や、一方でこれらが復活してきた近世の時代の天皇によく見られます。
一方で追号は、天皇が実権を握ることができなかった武士の時代の天皇に多く見られます。
業績や地名・建物名をもとに付けられている称号であるためどちらにもあまり規則性は見られませんが、諡号に関して言えば、例えば非業の死を遂げた天皇(ex.安徳天皇、崇徳天皇)に対して「徳」の文字の入った諡号を贈るなど、ある一定の規則性もあるようです。
4.「後〇〇天皇」に関する疑問を解決!
さて、天皇に贈られる贈り名の追号には、「加後号」と呼ばれる種類があります。
これは、過去に付けられた追号に、「後」を付け加えた呼び名のことを指しています。
いわゆる、「後〇〇天皇」という呼び名ですね。
加後号は、過去に追号が贈られた天皇たちと、在位・退位後の在所やゆかりのある地が同じである場合に、過去の天皇と区別するべくよく付けられます。
他にも、皇統の正当性や親子関係を強調したい場合などにも付けられることがあるため、「〇×天皇」と「後〇×天皇」には、なんらかの関係性がある事例もしばしばみられるようです。
先ほど述べた通り、諡号・追号はともに天皇の死後、後世の者によって贈られるものですが、中には在位・生存中、自らに名前を贈ってしまうちょっと変わった天皇もいました。
その代表例が、後醍醐天皇です。
後醍醐天皇は、醍醐天皇の時代――延喜の治が行われた時代です――を、摂関や武士などにとらわれずに天皇が自ら親政を行った理想的な時代であると考えていました。
そして、自らもその理想的な時代を目指すべく在位中の時点で自ら「後醍醐天皇」と名乗り、その息子には天暦の治が行われた村上天皇の時代にあやかって、「後村上天皇」と名乗らせました。
「後〇〇天皇」という追号には、一つ不可解な点があります。
宮内庁の天皇系譜に深草天皇、小松天皇、水尾天皇の名前は見られないのに、教科書には後深草天皇、後小松天皇、後水尾天皇が登場しているのです。
これはどういうことなのでしょう。
実は、教科書などの天皇一覧に載っていることは少ないですが、平安時代には諡号・追号の両方を贈られた天皇が何人かいました。
それが仁明天皇、光孝天皇、桓武天皇、平城天皇、清和天皇、淳和天皇です。
そしてこのうち、明天皇、光孝天皇、清和天皇の追号が、それぞれ「深草」「小松」「水尾」であったのです。
後深草天皇、後小松天皇、後水尾天皇の「後」の由来は、ここからきているのですね。
いかがでしたか?
現行の日本国憲法下において天皇は日本の ‘‘象徴‘‘ となり、‘‘開かれた皇室‘‘ 理念のもと、天皇や皇室に関するニュースの報道や議論が盛んに行われている現代ですが、天皇と呼ばれる存在やその制度に関しては、我々一般人に馴染みのないことがまだまだ溢れているように思います。
少なくともヤマト政権が朝廷へと発展してから現在に至るまで、日本では一度も王朝交代が行われておらず、そういった意味で日本は1500年以上も単一の王朝が続く世界でも類を見ない国――世界で最も長く同一王朝の続いている国家――であると表現されることもあります。
現代を生きているとあまりこの重みを感じることはありませんが、我々はそのように長い歴史と伝統を持つ国に生きているのです。
2019年の5月には、江戸時代以来約200年ぶりの生前退位=譲位が行われました。
それに伴い、新たに即位された徳仁さまや皇后となられた雅子様に関するニュースなど、ここ最近は特に、皇室関連の報道が盛んに行われています。
そんな今だからこそ、日本史を学ぶ我々としては、天皇家の歴史やその権威の変遷、天皇制という制度やその在り方について、もっと意識を向けてみてもよいのかもしれません。
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