•  

【理由を解説!】長岡京からすぐに平安京へと遷都されたのはなぜか?非業の死を遂げた早良親王の怨念?

更新日:7月6日

たかった。





さて、奈良時代も終わりを迎え、心機一転、桓武天皇は奈良の平城京を捨てて新たに京都・長岡京へと遷都を行いました。



しかし、長岡京の造営ももうすぐ終わりを迎えようとしていた794年、桓武天皇は再び遷都を行ってしまいます。



「鳴くよウグイス平安京」でお馴染み。【794年 平安京遷都】です。



長岡京はわずか11年間しか使われなかったことになります。



しかも、長岡京と平安京は現代の地図上でみると電車でわずか数駅分の距離しか離れていません。



どうして長岡京から平安京へと遷都されたのでしょうか。



今回の記事では、その疑問を解決していきたいと思います!



目次-

1.長岡京への遷都

2.長岡京の造営と藤原種継暗殺事件

3.犯人は大伴氏ら!桓武天皇の実の弟・早良親王も関与・・・?

4.悲劇!最後まで無罪を訴え続け早良親王の壮絶な最期

5.早良親王の怨念?桓武天皇の周りで立て続けに不幸が発生

6.そして行われた平安京遷都





1.長岡京への遷都

桓武天皇が奈良の平城京を捨て長岡京へと遷都を決めたのは、


①天智系皇統の復活に伴い‘‘新王朝‘‘としての正当性や威厳を示したかった。

②奈良時代後期に朝廷がお坊さんによってめちゃくちゃされたのを深く反省し、奈良仏教勢力を政治の場から排除して、政治の刷新を図りたかった。


からでした。



↓詳しくは以下の記事をご覧ください↓

桓武天皇はなぜ「京都」の長岡京・平安京へと遷都したのか【理由を解説】




実際には、平城京を捨て長岡京への遷都を行う旨を式家の藤原種継が進言し、それを桓武天皇が受け入れたと言われています。



天智系皇室の桓武天皇が藤原氏式家の種継に信頼を置くのは、考えてみれば不思議なことではありません。



天智系皇統が復活したのは、奈良時代最後の政権担当者であった藤原百川(式家)が、

自分に皇位が回ってくるなんて思ってもみなかった光仁天皇を天皇に擁立したからでした。



だからこそ、光仁天皇の息子である桓武天皇が、百川の血縁である種継を重用するのも納得のできる話でありましょう。



こうした背景もあり、784年、奈良の旧勢力を中心に叫ばれた遷都反対の声を押し切って、長岡京への遷都が敢行されたのでした。





2.長岡京の造営と藤原種継暗殺事件

さて、長岡京への遷都も決まり、現在の京都府長岡京市・向日市・京都市伏見区・西区にわたる地域に新しい京の造営が進められました。



長岡京の造営責任者は、桓武天皇に遷都の進言をした藤原種継です。



長岡京の造営は種継を中心として、依然として遷都に反対する勢力にも配慮しながら進められました。



桓武天皇自身も朝廷改革を実行し、反対勢力の力を削いで遠ざけるような政策を行い、造営作業も着々と進められていきました。



ところが・・・



遷都からわずか翌年の785年のことです。とんでもない事件が起こってしまいました。



藤原種継が何者かによって弓で射抜かれ暗殺されてしまったのです(「藤原種継暗殺事件」)。



種継に厚い信任を置いていた桓武天皇は、当然のことながら大激怒します。



桓武天皇「許さない…!! 絶対に犯人を捕まえるんだ!!」




3.犯人は大伴氏ら!桓武天皇の実の弟・早良親王も関与・・・?


犯人はあっさりと見つかりました。



桓武天皇自身や遷都自体にも最後まで反発していた大伴継人を始め、大伴氏佐伯氏の数十人が捕らえられたといいます。



その中でも首謀とされたのは、この事件の直前に亡くなっていた大伴家持でした。



大伴家持と言えば、歌人として優れた和歌を多く残し、万葉集を編纂したことでも有名な文化人であります。



実はこの人物は官僚としても有力であり、最後まで桓武天皇に抵抗し続けた奈良旧勢力の代表人物でもありました。



家持の遺体は墓から引きずり出され、生前に築き上げた官僚としての地位をも剥奪されるという、死後でありながらも厳しい罰が下されたと言います。







と、これで大伴氏・佐伯氏のみが処罰されればよかったのですが・・・



ここで、この藤原種継の暗殺事件に、桓武天皇の弟である早良親王が関与しているとの噂が流れたのです。



早良親王は桓武天皇の弟であり、皇太弟でした。すなわち、桓武天皇の次の天皇となるべき人物であります。



桓武天皇・早良親王はともに母を同じくする本当の兄弟です。仲も良好であったと言われています。



そんな早良親王が、自分の厚く信頼を置いていた種継の暗殺事件に関与していたかもしれないということに、桓武天皇は深くショックを受けました。