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【理由を解説】西が右京で東が左京。左右逆なのはどうして?ー番外編:右と左ではどっちが格上?ー

更新日:7月6日



京についての学習を進めるにあたり、ここで全国の高校教師・予備校講師が必ずといっていいほど口酸っぱく繰り返すポイントがあります。



「朱雀大路を挟んで東側が左京で、西側が右京だぞ!逆にするなよ!!



そもそもなぜ、右京と左京が地図上で見るのとは逆になってしまっているのでしょうか。



今回の記事では、この疑問についてお答えします!



目次

1.朱雀大路を挟んで右京は西側、左京は西側

2.その理由を解説!‘‘天子南面す‘‘

3.-番外編-右と左ではどっちが格上??








1.その理由を解説!キーワードは‘‘天子南面す‘‘


実はその理由、ものすごく単純です。



一言で述べるなら、「天皇は南を向いて政治すべきでありと考えられており、それゆえに天皇から見て左側が左京・右側が右京と名付けられた」。



これが理由です。



順番に解説していきます。






まず、遣隋使や遣唐使の派遣に見られるように、社会制度、政治、学問、文化など日本は中国からあらゆる物事を吸収していきました。



京の作り方や政治の在り方についてももちろん例外ではなく、平城京も平安京も、中国の都市・長安をモデルにして造営されたといいます。



ですので、日本の京も古代中国の都市の基本であった都城制を採用しており、長安と同様に平城京も平安京も、大内裏(宮城のこと)は京の北に置かれました



ではなぜ、北の方に宮城が置かれていたのでしょうか。



その理由を端的に表しているのが、古来より中国に存在する「天子南面す」という言葉です。



この言葉が示すように、天子=すなわち中国の皇帝は、北に背を向けて南を向いて政治を行うべきだと言われていたのです。(不動の存在である北極星を中心にして生み出された思想であると考えられています。)



だからこそ、南を向く天皇が広く京を見渡せるよう、大内裏は京の北に置かれているのですね。







さて、「天子南面す」という言葉ですが、ここに”右京と左京が逆問題”の答えが隠されています。



これを日本版に置き換えると「天皇南面す」。天皇は南を向いて政治を行うべきであるということになります。



南を向いている天皇にとっては、東こそが自分の左側であり、西こそが自分の右側なのですね。



そうです。右京・左京の名称は、大内裏から南を向いて政治を行う天皇を基準にしてつけられているのです。
















3.―番外編―右と左ではどっちが格上?


「天子南面す」という思想が出てきたので、番外編と称し、勉強の合間にちょっとした豆知識を紹介いたします。



さて、上と下・陰と陽・北と南・黒と白といったように、この世の中には多くの対になる概念が存在しています。



その中でも、我々人間がまっさらな状態で生まれてから、成長の過程で最も早く獲得するであろう代表的な概念の一つが【右と左】です。



それこそ幼稚園児の頃からおなじみの概念ですが、みなさんは右と左、どっちが格上であるかなどと考えてみたことはありますか?



現代では左右どちらが優位であるだなんて意識はほとんど残っていませんが、たしかに古代中国や昔の日本では、一方が優位であるとみなされていました。






答えは左です。



これも理由はとても単純で、先ほどの言葉「天子南面す」から導き出せます。



太陽は東から上って、西へと沈んでいきますが、これを南面する天子から見ると、太陽は自分の左から昇ってきて右へと沈んでいくことになります。



このことから、天子から見て、太陽の昇る左の方が尊く、上位とされたのです。



実際に、例えば古代・律令制の時代に、左大臣と右大臣では左大臣の方がランクが上であるとされていました。



左の方が格上なんて現在ではあまり意識されていませんが、現在でもその名残を感じられる例はいくつかあります。



例えば、神社にお参りするとき。



まず初めに鳥井や門の前で一礼をし、参道の端を通って神社の奥へと参りますが、その途中の手水舎で手を口を清めますよね。



このとき、柄杓を取って、まず初めに洗うのは右手ではなく、左手です。



伝統芸能にも名残があります。



日本人は昔も今も演劇といった類の娯楽が大好きです。



能・歌舞伎・歌劇・ミュージカル・音楽ライブ・舞台演説など、舞台の上からお客さんを前にして、パフォーマーが何かを演じるような舞台芸術は日本においても多く生み出されてきました。