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【理由を解説】大伴氏と伴氏の違いは?大伴氏が伴氏に改名したのはなぜ?【ポイントは「諱(いみな)」】

更新日:7月12日



(画像は、左から大伴金村、大伴家持、伴善男とされている人物)





日本史を学習していくと、古代の日本では「大伴氏」と呼ばれる氏族が多く活躍したことが分かります。



大伴金村大伴旅人大伴古麻呂大伴家持大伴弟麻呂・・・といったように、たくさんの名前が教科書や参考書には登場しています。



ところが、平安時代前期になると、大伴〇〇と呼ばれる氏の名前はなくなり、代わりに伴氏と呼ばれる氏族が登場するようになるのです。



承和の変で排斥された伴健岑や、応天門の変で排斥された伴善男らがその例ですね。



教科書によると、「大伴氏が改名して伴氏になったのだ」といった旨の解説が記載されていることもありますが、なぜ大伴氏は伴氏へと改名したのでしょうか。



今回紹介するテーマは豆知識的な要素の強いものですが、あえてちょっと掘り下げてみて、大伴氏と伴氏の違いや改名の理由・背景について解説していきたいと思います!



目次―

1.大伴氏と伴氏の違いは?

2.個人の本名を呼ぶことを避ける文化。「諱(いみな)」とは?

3.天皇と諱の関係。淳和天皇の諱は?






1.大伴氏と伴氏の違いは?



冒頭に述べた通り、伴氏は大伴氏が改名したものなのですから、その系譜や根拠は全く同一のものです。



しかし、いくら同じといっても改名が行われているため、大伴金村を「伴金村」と書いたり、伴善男を「大伴善男」と書けば当然テストでは×になりますので注意してくださいね。



大伴氏は伴氏へと改名したのは、823(弘仁14)年、平安時代前半のことでした。



淳和天皇が即位したことをきっかけに、大伴氏は改名したと言われています。



一体なぜでしょうか。



答えは非常に単純。



淳和天皇の ”諱(いみな)” が「大伴」であったからです。



淳和天皇の諱が「大伴」であったため、一族は大伴の呼称を避けるべく、「伴氏」へと改名したのでした。



「諱(いみな)」というものを知っていればなるほどと思える理由ですが、この概念は現代ではあまり馴染み深いものではないため、「?」と感じている方も多いでしょう。



この理由を理解するために、次の章では「諱」という概念について、簡単に解説していきます!




2.個人の本名を呼ぶことを避ける文化。「諱(いみな)」とは?



諱(いみな)とは、簡単に言ってしまえば【個人の実名】のことです。



現代ではあまり使われない言葉ですね。



「いみな」は別名「忌み名」と書くこともありますが、この別名からもわかるように「諱」という言葉には「口に出すことをためらわれる」という意味が含まれています。



それぞれの人物の本名=諱は、それぞれの人物の霊的な人格と結びついたものであり、その本名を口にするとその霊的な人格を操ってしまうと考えられていたのです。


そのため、日本では古来、本名=諱を呼ぶのは親や主君のみに許されることであり、それ以外の者が諱で呼びかけるのは極めて無礼であるとされていました



諱を忌避するこの風習が、日本においていつから始めったのかは定かではありませんが、だいたい明治時代頃まで続いてきたとされています。



⇓⇓⇓諱についてさらなる解説を読みたい方は以下の記事をご覧ください!

【諱について解説!】かつて日本には他人を本名で呼ぶことを避ける文化がありました。【紫式部や新井白石は本名でなかった!?】






3.天皇と諱の関係。淳和天皇の諱は?



さて、普通の一般大衆に対してもそうなのですから、古来より天皇に対する諱の呼称は非常に無礼なことであるとされてきました。



現代に至るまで、一般人だけでなく傍系の皇族といえども、天皇や皇族に対して諱で呼称することは控えられる傾向にあると言われています。



ここまでこれば、大伴氏が伴氏へと改名した理由がお分かりいただけるかと思います。



淳和天皇がまだ皇太子であったときはさておき、彼がいざ天皇として即位してしまうと、さすがに淳和天皇の諱である「大伴」を臣下の一族であるにすぎない我々が名乗るのは畏れ多いと判断して、大伴氏は伴氏へと改名したのでした







なぜ淳和天皇はわざわざ「大伴」を自分の諱としたのでしょうか。



実は、皇子や皇女の名前(諱)に臣下の名前を付けるのは、当時としては特に珍しいことではありませんでした。



飛鳥時代から平安初期にかけて、このように皇子・皇女への名前(諱)に、氏族の姓を使う命名法が流行したようです。



その皇子・皇女を育てた乳母が生まれた氏族の姓に由来していると言われています。


淳和天皇の諱が「大伴」であるのも、やはり乳母が大伴氏だったことが由来であると考えられています。




いかがでしたか?