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【新旧の説、徹底解説】武士の発生・登場の起源について解説!「武士」はどのようにして生まれた?【武士のルーツ】





「武士」――日本が有する長い歴史の中で1000年近くの間、実質的な頂点として君臨し、支配してきた武将集団。



日本の歴史の中で重要な位置づけをされる武士ですが、実はその発生・登場の起源については諸説あり、まだ決定的な学説が生まれていません。



それにより、ネット上はおろか教科書・参考書においても旧説や新説が混在しており、その本当の姿を見出すのが非常に難しい状況となっています。



そこで今回は、それらの学説についてなるべく中立的な立場をとりながら、武士の発生・登場の起源について新旧両方の説を紹介していくとともに、



武士たちのその初期の頃の在り方に焦点を当て、解説していきたいと思います!



⇓⇓⇓該当する授業ノートはコチラ!

授業ノート【平安時代⑦ 武士の登場と地方武士による反乱】





目次

1.従来考えられてきた武士の発生・登場のルーツ

2.武士の起源に関する近年の説

3.武士の活躍と地方武士による大規模反乱







1.従来考えられてきた武士の発生・登場のルーツ



律令制の崩壊に伴い、朝廷による地方支配は徐々に弛緩し、9世紀末~10世紀半ばにかけて地方政治は大いに混乱・変質していきました。



さらにそこに、徴税方式の転換に伴い徴税請負人と化した国司が、朝廷から一任された地方政治をおろそかにしていたことも加わり、



地方の治安は大いに悪化し、人々の間では「自分の身は自分で守る」という自衛の必要性が生まれたのです。



ここから、地方豪族や有力農民が武装したことを契機として、「武士」は自然発生的に登場したのだと、従来考えられてきました。



さらに、開発領主へと成長していた地方豪族・有力農民(有力田堵)が、国司による激しい徴税攻勢への対抗や、



私領の維持・拡大、開発領主間の抗争のために、一族で武装して小武士団を形成することもあったと言われています。



いずれにしても従来武士は、自衛や財産の維持・拡大を目的とした農民や地方豪族たちの間において自然発生的に登場したものなのだと考えられてきたのです。





2.武士の起源に関する近年の説



律令制の崩壊に伴う治安の悪化から生まれた自衛の必要性こそ武士のルーツであるという1章の説は、



確かに大いに説得力に富んだものであり、長い間支持されてきたものでした。



しかし、この説には大きな欠点がありました。



この説では、全ての武士の発生を説明できないのです。



具体的には、例えば武士団の主要メンバーであった源氏や平氏などの上級武士などの発生起源や、



院や朝廷と結びついた武士たちの発生起源について説明することができません。



また同様に、初期に登場した武士たちの身分の高さについても説明することができません。



そこで今日では、地方における紛争を解決・鎮圧するために中央から派遣された中下級貴族たちがそのまま土着し、現地の武将集団を従えてそのまま武士化したり、



国司として中央から派遣された中下級貴族が、国衙で子弟や在庁官人を組織化・武装化し、自らが棟梁となって大武士団を形成していったのだという説が、



武士発生のルーツとして、1章の旧説に代わって注目されています。



1章の旧説が自衛を行った農民や地方豪族が武士の起源と考える一方、新説では中央の中下級貴族や地方官人こそが、武士のルーツだと考えられているのですね。



日本という歴史において1000年近くも日本の実質的な頂点に君臨し、支配してきた「武士」という存在ですが、



先ほど述べた通り「武士」とよばれる武装集団の発生・登場には様々なルーツが考えられており、まだ明確な答えが出ていないというのが現状です。



いずれにしても、それぞれの出自・起源をもった武士たちは、この後複雑な過程を踏みながら台頭・発展していくことになるのです。







3.武士の活躍と地方武士による大規模反乱



こうして台頭・発展してきた武士たちは、平安時代半ば頃において様々な分野で活躍しました。



例えば、中央に関していえば、官人貴族たちが自己の生命や財産を維持するために、自らの従 者を組織し、家人として武装させることがありました。



武士を意味する言葉に、「」というものがありますが、これは貴人の傍に仕えるという意味を持つ動詞「侍ふ(さぶらふ)」に由来しています。



また、宇多天皇が ‘‘ 滝口の武士 ‘‘ を設置したように、平安時代半ば頃には朝廷の警護のために武士が利用されたこともあります。



中央・京都の治安維持を目的に設置された「検非違使」の職務を全うしたのも武士たちです。



他にも、地方に目を向けてみれば、頻発するようになった地方紛争を鎮圧するために中央から派遣された「押領使」や「追捕使」も、この時代において大いに活躍しています。